ランディー・ローズの墓 (San Bernardino, CA, USA)

ランディー・ローズ。LAサンセットのクラブで活躍した三大ギターリストの一人。オジーオズボーンバンドの初代ギターリスト。1982年逝去。30年の時を経て墓を再訪し、「探索」プロセスの変化がもたらす影響について考える。

ランディー・ローズ。1970年後半から1980年初頭にかけて、エディー・バン・へーレン (Eddie Van Halen)、ジョージ・リンチ (George Lynch) とともに、ロサンゼルス周辺のクラブ音楽シーンにおいて、三大ギターリストの一人として活躍した人、クワイエットライオットの初代ギターリスト、もっと分かりやすく言うと、ブラックサバスを離れたオジーオズボーンが作ったバンドの初代ギターリスト。1982年3月19日に飛行機事故で亡くなっている。

亡くなっている人は、とかく英雄視されがちだが、オジーオズボーンの最初の二枚のアルバム、ブリザード・オブ・オズ(Blizzard of Ozz)と、ダイアリー・オブ・ア・マッドマン(Diary of A Mad Man)を聞くと耳に残るギターということは理解してもらえると思う。私はランディー・ローズの後任となったジェィク・イー・リー(Jake E Lee)からオジーを聞くようになりランディー・ローズの存在を知ったが、多くのミュージシャンに影響を与えたという事実は否定できないだろう。

さて、ここでは、ランディー・ローズの墓の場所について書きたいと思う。最初に訪れたのは 1988年。亡くなってから5年程度。当時はインターネットもなく、情報収集に苦労した。まず、墓の場所を知るためヘビーメタル専門誌の「バーン」編集部に電話を掛けて、場所を知らないか問い合わせた。電話に出られた方が「ちょっと待ってください、知っている人がいるかもしれません」と言って、受話器を置いて確認してくれた。この時に教えていただいた情報が 「サンバーナディーノ」 だった。電話口の方は 「ううん、墓地の名前までは分からないですねえ」 と続けた。ということで、とりあえず 「サンバーナディーノ」 へ向かうこととした。

サンバーナディーノは、1982年と1983年にUSフェスティバルという大型音楽フェスティバルが行われた場所で、1983年5月29日に行われたヘビー・メタルデイに参加したランディーローズが立ち上げたバンド:クワイエットライオットは、ランディーローズがオジーオズボーンバンドに入り飛行機事故で亡くなった後ブレークしている(アルバム「メタルヘルス」は、1983年3月11日にビルボート全米No1となっている。ヘビーメタルのジャンルでは初)。

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