パレスチナ、ベツレヘム。イスラエルとパレスチナの分離壁に描かれたバンクシーの壁画を廻りながら、アジア人で初めて壁画に絵を描こうとする日本人に出会う。
パレスチナにバンクシーが描いた壁画がある。一時期、メディアを賑わせていた。場所はベツレヘム。ベツレヘムは、キリストが生まれたとされる場所だ。私は、この街を二度訪れている。一度は、海外旅行を始めた当初で、1990年。当時はインティファーダで、イスラエルにあるエルサレムの街は、日中でも、店の扉が閉まっているような状況。ベツレヘムは、キリストが生まれたとされる降誕教会への長い道のりは、日中にも関わらず、人は歩いておらず、通り沿いにある店は、厚い鉄扉で閉ざされている状態だった。
それが、2019年に再訪した際には、状況は大きく変わっていた。降誕教会付近は、多くの建物が立ち並び、通りや広場は多くの人で賑わっていた。2019年にパレスチナをガイドしてくれた方と話をしていて、初めて理解できたのだが、1990年頃は、インティファーダが激しかったため、店が閉まっていたのだろうということだ。
さて、バンクシーの壁画だが、バンクシーが、ベツレヘムにある壁に絵を描いて有名になった場所だ。まず、何故、壁があるのかについてだが、パレスチナ人ガイドの方の説明だと、イスラエルとパレスチナの間で合意されている境界線とは異なる所に、イスラエル側が、合意なく、突然、壁を建てたということだった。これは、この壁を建てることによって、パレスチナのエリアにイスラエル人が居住できるようにすること、また、壁を作って、パレスチナ人の行動を制限させることが目的ということであった。
この壁だが、至るところにある。バンクシーは、複数の場所に絵を描いているが、有名な絵の一つに、『天使が壁を抉じ開けようとしている』ものがある。これは、もちろん、不当に建てられた壁の建設に対する抗議を意味している。一方で、この絵の周辺は、他のアーティストが描いた絵で溢れてもいる。これは、バンクシーが絵を書いたことで有名になったことが関係しているはずだ。
尚、この天使の絵が描かれている壁の前に、バンクシーが経営するホテルがある。このホテルは、The Walled Off Hotel といい、一階のロビーには、バンクシーの作品が展示されている。監視カメラの展示があるあたりは、そのセンスの良さに心が躍ってしまう。奥は、美術館になっていて、ここには、パレスチナ作家の作品が展示されている。
バンクシーは、正体不明の人物として名を馳せているが、私は、このホテルで働いている三人に同じ質問をした。一人は、レセプションにいた中年の男性、二人目は、これもレセプションにいた若い女性、そして、三人目が、奥にある美術館の入口に座っていた若い女性。質問は、「あなたは、バンクシーに会ったことがありますか?」。さて、その答えだが、三人とも表現は違っているが、同じ答えだった。「I may have met, or I may have not met(会っているかもしれないし、会っていないかもしれない)」。
要するに、いろんな人と会っているけれども、バンクシー自体が正体を明かしてくれないので、誰が、バンクシーだか分からないということだ。この徹底ぶりは、称賛するしかない。ちなみに、私をガイドしてくれた方も、壁に絵を描いている人と必ず話をし、ホテルの人とも知り合いのようだったが、同じ答えであった。「会っているかもしれないし、会っていないかもしれない」。ホテルの壁の前には、観光客用なのだろう、お金を払えば、グラフィティーを描かせてくれるため、梯子を建ててグラフィティーを描いている人がいた。
また、グラフィティーを描いている人は、アメリカ、イギリス、ドイツ、イタリア、パレスチナ人ということだったが、少し離れたところに、偶然、アジア系らしき人が絵を描こうとしているところだった。その方と少しお話をさせていただいたところ、その方は日本人で、「夢志」という方だった。これから『龍』の絵を描くということだった。ガイドの方曰く、日本人、いや、アジア人として初めてということだった。
後日、「夢志」さんにコンタクトし、描いた絵の写真をいただいた。話によると、最初に描こうとしていた場所で、イスラエル警察の尋問を受け、装甲車に乗せられ、連れ回されたあと、解放されたということだった。結局、最初に描こうとしていた場所から、少し離れた目立たない場所で、夜中に描き上げたということだ。ちなみに、場所は、正確には、壁ではなく、壁の間に建っている監視塔に描かれている。監視塔に人が常時いないのかもしれないが、まさしく、「灯台もと暗し」だ。
世界を旅していると、思わぬところで、日本人の方に会うことがあるが、あらためて、日本人の底力を実感できた。是非、今後も活躍いただければと思う。
The Walled Off Hotelから少し離れた場所の壁に、小さく書かれたマーク。これは、世間には、ほとんど知られていないということだった。「壁はもろい。すぐ壊れるよ」というのがメッセージだ。
男性が、花束を投げようとしている絵。本当は、石かなにかを投げようとしているはずだが、代わりに花束を持っているというもの。もちろん、イスラエルに対する抗議を意味する。ガイドの方によると、ここに描かれている男性は実在していた人ということで、実際に、イスラエルとの一連の闘争で亡くなっている(殺された)ということだった。この絵だが、洗車をするための自動洗浄機が置かれた建物の脇に描かれていた。
この絵は有名だと思う。バンクシーがパレスチナに来て最初の頃に描いたもので、「少女が風船を持って、壁を乗り越える」という意味だ。ガイドの方の話によると、一番初めに、バンクシーが描いた絵は、消されてしまったが、その後、他の人が、そのオリジナルのグラフィティーがあった場所の少し右側に描き直したというものだった。従い、現存するものは、正確にはバンクシーの作品ではないことになる。ちなみに、この場所だが、ラマラーという、パレスチナの首都の外れにある、チェックポイントの手前に連なる壁に描かれている。尚、この壁には、多くのグラフィティーが描かれているが、乱雑な感じになってしまっていて、鑑賞を楽しむ感じではなかった。
鳩の絵で、中心に射撃の標的のマークが描かれている絵。この絵から数百メートル離れたところに、イスラエルの監視台が見えた。要するに、イスラエルの監視台にいる人に狙われていることを意味するもの。この絵はThe Walled Off Hotel から二百メートル程離れた建物の側壁に描かれている。
壁画、グラフィティー文化は、世界中で見られる。個人的には、欧州、中南米で目にしてきたが、この場所は、グラフィティーの多くが、政治的メッセージを包含している。また、周辺は機関銃を持ったイスラエル兵士の姿を目にする場所で、緊張に満ちているという意味では、特異な場所であり、「非日常空間」という言葉がしっくりくる場所だ。将来的に、イスラエルとパレスチナが対等に話し合える環境が整い、良い方向に向かうことを願いたい。
最後に、この場所を紹介してくれたガイドツアーについて紹介しておく。私は、プライベートツアーでこの場所に連れて行っていただいた。ガイドの方はパレスチナ人のサラー氏。パレスチナ人である彼のガイドは、プロフェッショナルで、熱意と情熱に溢れており、今まで経験したことがない、貴重なツアーとなった。ツアーに参加した主目的は、バンクシーの絵がある場所を見ることであったが、ツアーでは、パレスチナが抱えている問題が理解できるような場所にも連れて行ってくれ、また、何より、奥の深い説明を聞くことができ、自らの知見の浅さを認識する場となった。また、こういう人がいるからこそ、現存する問題は、解決の方向に進展していくのだという気もした。是非、パレスチナに足を運んだ際には、このツアーに参加してみていただきたい。
2019年訪問。
基本情報
■ 名称:バンクシー壁画、ベツレヘム、パレスチナ
■ 住所 : 182 Caritas Street, Bethlehem, Palestine (Walled off Hotel / Banksy Guest Houseの住所)
■ ホームページ:(Walled off Hotel): http://walledoffhotel.com/
(described on Sep 19 2019)
(updated on Jul 4 2020)