目黒鹿鳴館 (Meguro, Tokyo, Japan)_日本のハードロックを牽引した場所

東京、目黒。1980年オープン。日本のハードロック創成期より多くのバンドを育んできた場所で、80年代の音を聞きながら、ブームの再来を願う。

日本のハードロックシーンを牽引したライブハウス。オープンは1980年。ラウドネス結成が1981年なので、日本のハードロック・ヘビーメタルシーン創世記に始まった場所だ。いわゆる、「ジャパメタ(ジャパニーズメタル)」の東京の拠点という見方もできるだろう。

目黒駅から歩いて5分ほどの場所、ビルの地下にある。ビルの老朽化にともない2025年1月19日に閉店することとなった。移転の話もあるようだが、場所など具体的なことは公表されていない。オープンから44年。様々なバンドがこのライブハウスから出てきている。日本のハードロックシーンを語る上では外せない場所だ。

最初に訪れたのは1987年だったと思う。友人が演奏するということで訪れたのだが、当時は、現在のようにスタンディングではなく、椅子があった。椅子と言っても固定席で映画館のような感じだ。椅子から見上げていたこともあったのだろう、ステージを見上げるような感じで、ステージの上が神々しく見えた。

80年代は、44MAGNUM、ANTHEMなどが活躍していたとのことであり、この鹿鳴館が、ハードロック・ヘビーメタルバンドの登竜門的な場所として、その地位を確立した頃でもあった。その後、いわゆる、ビジュアル系のバンドが出てきて、最近では、BABY METALが活動していた場所としても知られている。

このライブハウスだが、地下の造りが変わっている。まず、階段を降りた地下1階のスペースに受付が設けられ、さらに地下へ降りる。地下2階という言い方が正しいのだろう。この降りた所にスペースがあり、左手奥にある扉を開けるとホール。中は決して広くはない、ステージの横幅は6m程度、ステージの高さは80㎝程度だろうか、2024年に訪れた時の印象は、昔はもっとステージが高かったのではないかというものだが、おそらく椅子に座って見上げていたことが関係しているのだろう。

ステージからホールの最後尾までは15m程度。キャパは250人とあるが、200人も入らないような感じ。特徴的なのは2階席があること。2階席はホールに入った左手にある階段を上ることになる。基本は、関係者席のようだ。PAも二階にあるということだ。また、ステージには緞帳があり、最前列には鉄柵が配されている。ちなみに、楽屋はホール手前にある階段を降りたところにある。つまり、地下3階とも言える。

さて、トイレだが、ホールに入った後方左手に扉があり、その扉を開け、下に続く階段を降りた所にある。トイレ自体は、1980年オープンを感じる古い造りだ(個室トイレは洋式だったが、和式の上に便器を配置したということだ)。中に入ると、壁に落書きはなかった。このあたりは意外な感じもしたが、おそらく、40年以上の歴史の中で、しっかりメンテナンスされてきたのだろう。

2024年12月、この場所がクローズするということで訪れた。いわゆるLAメタルの象徴だったRattのカバーバンドが演奏していた(バンド名:Batt)。観客は100人程度いたのではないだろうか。80年代というと、LAでは、Van Halenがシーンに衝撃をもたらし、続いて、多くの、いわゆるグラムメタルバンドが出てきた時期であり、今考えると異常な盛り上がりだった時代を懐かしく思いながら演奏に聞き入った。オープニング曲が、「Dangerous But Worth The Risk」で、センスの良さを感じ取り、加えて、生音は心地良く、飽きることなく、ライブハウスの素晴らしさを痛感した。

現在の場所が閉まった後どうなるのかについては発表されていない。このまま閉店するのか、それとも、新たな場所で再開するのか。1980年代、「ジャパメタ」が始まった時に若かった世代は、まだ50~60代であるということも考えると、まだまだ、あと20年ぐらいは頑張っていただきたい。アメリカのライブハウスでは、普通に歩けるのかどうかも怪しそうな年輩の人を見かけたりするので、ライブハウスを誰にでも開かれた場所にすべく、鹿鳴館の名を継続し、音楽文化を根付かせていただきたい。

1987年、2024年訪問。

基本情報

■ 名称:目黒鹿鳴館
■ 住所 : 東京都目黒区目黒1丁目5−17 山崎ビル
■ ホームページ:https://www.rockmaykan.com/
​■ 演奏したミュージシャン:44 MAGNUM, ANTHEM, X, UNITED, LUNA SEA, DIR EN GREY, BABYMETAL

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