ラスベガス (Nevada, USA)

世界に名を馳せるカジノタウン。いや、エンターテイメントシティーで非日常を享楽する。

言わずと知れた世界に名を馳せるカジノタウン、歓楽地、リゾート地。カジノホテルに併設されたカジノ施設と、ホテルで繰り広げられる数々のエンターテイメントショーのイメージが強いかもしれない。私が最初に訪れたのは1988年。ダウンタウンのカジノ街に立ち寄り、カジノホテルを廻りながら、スロットマシーンの前に座る年輩の人々の姿を目にし、「人生終盤を迎えた人が時間を潰すために訪れる場所」というイメージが刷り込まれ、自分が来る場所ではない感覚を持った。しかしながら、その後、このラスベガスが、自分の興味を喚起してくれた、周辺にある荒野、国立公園のゲートシティーとして貴重な場所であることが分かり、旅の最初か最後に組み込まれることが多くなった。以来、十回以上足を運んでいる。

エンターテイメントシティーを象徴する街なので、非日常感に溢れている。個人の興味の及ぶ範囲によるが、同じホテルに一週間滞在しても飽きることがない稀有な場所と言える。最初に足を運んでから三十年が経過したが、変化したことは多い。まず、私が最初に訪問した1988年から今までの変化について記述し、最後に、ラスベガスの気に入った場所を、いくつか紹介したい。

ラスベガスの変遷

訪問者の若年化・一般化

1980-90年代は、ラスベガスはカジノをするために来る場所という印象が強く、訪問者の年齢層が高かった。エンターテイメント系も存在したが、選択肢は限られており、結局、ラスベガスに来るとカジノホテルに泊まり、カジノに興じるのが典型的なパターンだった。カジノホテルは、カジノの収益増を優先としていたため宿泊料金は安く、1980-90年代前半は一泊20-30ドルのカジノホテルも存在した。この点は、カジノがビジネスの主体であったことの証といえるだろう。この価格だと、カジノホテル周辺にあるモーテルの方が高くなり、この事実に気が付いてからはカジノホテルに宿泊するようになった。

一方、エンターテイメントはシルク・ドゥ・ソレイユ / Cirque du Soleilが、1993年にミスティア / Mystereでレジデンスショーを始めてから複数の公演を手掛けることとなり、それまでのエンターテイメントの客層を広げた要因となった。それまではエンターテイメントというと、マジック、レビュー系のショーが中心だったことと比較すると、このシルク・ドゥ・ソレイユの登場は、訪問者の若年化、一般化に重要な役割を担ったはずだ。

カジノの変化

スロットマシーンは大きく変化した。80-90年代は、スロットマシーンにお金/コインを入れてプレイしていた。アメリカのモーテルに宿泊すると部屋に置いてあるようなアイスボックス(氷を入れるプラスティック製のボックス)にコインを入れて、ジャラジャラ音をさせながらスロットマシーンの台を移動し、コインをコイン投入口に一枚ずつ入れアームを引いた。当たりを引くと、マシーン下の受け口にコインが吐き出され、その音が騒がしかった。

その後、アームに加えて、リールを回すためのボタンが登場した。ボタンを押すとリールが回るのだが、アームを手前に引くより時間がかからないこともあって、あっという間にお金がなくなり味気なくなった。

続いて、スロットマシーンのお金の管理がデジタル化され、お金の出し入れがカードを介して行われるようになった。このカードは、カジノホテルが発行する 「プレイヤーズクラブ/Player’s Club」と呼ばれるカードで、お金の移動はこのカードを使って行われ、ゲームを開始する時にカードを差し込むと残額が表示され、ゲームを終了すると、終了した時の残額がカードに記録された。お金がなくなった時は、スロットマシンに付属した紙幣の投入口にお金を入れ、カードに金額がチャージされた。当たりを引くと、コインはマシーンの受け口には吐き出されず、マシーンに表示される数字が増えるだけになり、一瞬で行われるその動作はゲームに勝った感覚を減じさせた。

この変化より、スロットマシーンの脇に積まれていたアイスボックスのようなコインを入れるボックスは姿を消した。また、上述の通り、コインがスロットマシーン下の受け口に吐き出されることがなくなり騒がしくなくなったが、この影響からカジノフロアの「騒がしい場所」というイメージはなくなった。この変化は、スロットマシーンを楽しむソフト面での感覚を変え、当初は勝った感覚を認識するため、スロットマシーンにあるキャッシュアウト / Cash Out のボタンを押し、わざわざお金をマシーン下の受け入れ口に吐き出し、コインが出てくる音を楽しんでいた。

その後、2010年代以降、スロットマシーン表示にデジタルのものが登場する。従来は、文字や模様が書かれたリールが回転していたが、次第にこの文字や模様もデジタル化、バーチャル化され、物理的なリールが回るマシンは減った。2018年、このデジタル化されたスロットマシーンが並ぶ風景を目にした時は、今までの風景が大きく変わり少なからずショックを受けた。

ナイトショーの多様化

ナイトショーは、1990年代半ばよりシルク・ドゥ・ソレイユ / Cirque du Soleilがラスベガスでショーを始めたことよりエンターテイメントに「芸術性」が加わり、雰囲気が変わった。シルク・ドゥ・ソレイユがショーを席捲する以前は、マジックショーとレビュー系が中心で、マジック系では、Siegfried & Roy (1990~2003)、Lance Burton (1991~2010)、レビュー系ではSplash (1984-2006)、Jubilee (1981-2016)の人気があった。もちろんアダルト系のショーも存在したが、かつてのイカガワシイ感じは減少し、洗練化が進んだ。これも、訪問者の若年化・一般化の影響を受けているはずだ。

マジックは、言い方は悪いが、仕掛けがあることが前提となっているため、「虚」の部分があるのに対し、シルク・ドゥ・ソレイユは「本物」を追求している。これは、時代が移り替わり、流布する情報量が増えていくことより、「虚」が排除されていくことと関係があると考える。

マジックショーはいくつか見たが、Steve Wyrick のショーが印象に残っている。寂れた感じの場所でステージが横に長く、そのステージの端から端まで、ステージ前列から十列ぐらいしか席がなく、ステージに向かって傾斜があり、どこからでもステージが見やすくなっていた。会場全体が怪しげな雰囲気を醸し出していたが、この「怪しげな雰囲気」を持ったステージは減少してきていると思う。

ホテルの高級化、洗練化

1980年代後半と比較すると、ストリップはとにかくホテルが増えた。当時はストリップの中心は、フォーコーナーと呼ばれるシーザースパレス / Caesar’s Palace、フラミンゴ・ヒルトン / Flamingo Hilton、バリーズ / Bally’s が集まる交差点で、現在、一番人が集まるニューフォーコーナーと呼ばれるトロピカーナアベニュー / Tropicana Avenue の交差点には、トロピカーナ / Tropicana Casino Hotelがあるだけで、その南側はホテルが存在しない荒地だった。ルクソール / Luxorもまだ存在しておらず、Luxor が建設された場所の向かいには古ぼけた怪しげなモーテルが並び、カジノホテルに宿泊できなかった人、あるいは、カジノに興味がない人の受け皿となっていた。

それまでは、カジノホテルも庶民的な感じがあったが、ベラージオ / Bellagio (1998年オープン)あたりから高級志向に向かい、マンダレイ・ベイ / Mandalay Bay (1999年オープン)、ベネチアン / Venetia (1999年オープン)で、カジノホテルの代名詞であるケバケバしいネオン装飾は姿を消した。

その後、アレア / Area(2009年オープン)、コスモポリタン / Cosmopolitan(2010年オープン)が現れると、その姿は従来のカジノホテルではなく、高級シティーホテルの趣でイメージが一新された。ストリップを車で走ると、昔は、通りの左右から発するネオンが眩しく目移りしたが、現在は、ネオンも抑えられてきたと感じる。

一方、ダウンタウン地区は、ストリップほどの変化はない。ホテル、カジノが発するネオンは相変わらずケバケバシイし、集まってくる人も年齢層は高めだ。1980年代後半から90年代前半は、危険な感じも受けたが、メインストリートであるフレモントストリートが95年にアーケードとなり、天井のモニターを使ってネオンショーを始めるようになってからは、周辺も奇麗になり、危険な感じ、いかがわしい感じが少し和らいだ。個人的には、ラスベガスのネオン街と、少し危うい雰囲気を感じたい場合は、ストリップだけではなく、ダウンタウンエリアを訪れるのがオススメだ。

お気に入りの場所

ピンボール・ホール・オブ・フェーム / Pinball Hall of Fame

この場所はとにかく凄い。こんな場所あるの?という感じ。倉庫のようなだだっ広い建物の中に、レトロなピンボールマシーンがずらっと並んでいる。20~30台程度並んだピンボールが6列あった。200台程度あるらしいが、とにかく凄い。圧巻という言葉がぴったり。奥の方では、スタッフの人が修理作業をしているようだったが、この設備を維持するのは大変だと思う。尚、ピンボールは、25セントコインを入れてゲームができた。好きな人は一日いても飽きないだろう。村上春樹の小説「1973年のピンボール」に出てくる場面を彷彿とさせる。私が訪れたのは2015年だが、その後2021年に場所を移動している。

(村上春樹:1973年のピンボール引用)
ごく好意的に見れば、それは象の墓場のようにも見えた。そして足を折り曲げた象の白骨のかわりには、見渡す限りのピンボール台がコンクリートの床にずらりと並んでいた。僕は階段の上に立ち、その異様な光景をじっと見下ろした。手が無意識に口もとを這い、そしてまたポケットに戻った。

ゴーストバー / Ghost Bar 【閉店】

ラスベガスの夜景が見れる絶景ポイント。ストリップのフォーコーナーを西に2kmほど行ったところにあるパームズ / Palmsの55階にあるクラブ。ここから見えるストリップを見下ろす夜景が素晴らしい。ここはナイトクラブなので、入場が煩そうでやっかいだが、平日の夜と、早い時間に行けば入れるようだ。とにかく、屋外にあるストリップの夜景が見下ろせる場所を確保しよう。この屋外の場所は、席に座ると追加料金が取られるという理解に苦しむシステムが適用されない。ストリップのネオンが揺らめいている光景は圧巻。ストリップの北にあるストラット(旧ストラスフィア)/ Strat (ex. Strasphere)の展望台からの夜景も素晴らしいが、このゴーストバーの方がストリップの中心に近いのでインパクトは強いはずだ。2002年訪問。

** 尚、2022年にリオープンしている。システム・雰囲気は変わっているはずなので注意が必要。

カー / Ka

シルク・ドゥ・ソレイユの中で個人的に引っかかったのはこのカーだ。舞台の仕掛けが素晴らしく、演じられている途中、何がどうなっているのか理解できない状況が続いて、気が付いたら終了していた。芸術性よりも、混乱状態の風景が、目の前を流れていくという感じ。この設定を創り出した人々には感服する。

ちなみに、シルク・ドゥ・ソレイユは、他に、オー / O、ル・レーブ / Le Reve、ミスティア / Mystereを見たが、あまりしっくりこなかった。ちなみに、カーは前から7列目の席で見たが、これが関係しているのかもしれない。他のステージは、中方から後方席だったので、前方席で見ていたら印象は違っていたのかもしれない。エンターテイメント系は、やはり前方で見るのがいいと思う。チケット代を奮発して鑑賞していただきたい。2008年鑑賞。

キャロットトップ/Carrot Top

スタンディングコメディー。日本的に言うと漫談になるのかもしれない。キャロットトップという男性が演じる。喋るので英語が分からないとついていけないが、喋りのトリガーが、ステージに散らばっている小道具なので、ある程度の英語力があれば、話していることも想像できるのでついていけると思う。道具を選択し、漫談を繰り広げる形式。

キャロットトップは50代の人で、80年代から90年代に起こったテーマを主体としているので、この時代をよく知る人は引っかかると思う。アメリカのコメディーを体感してみたい人は、是非挑戦してみていただきたい。2018年二回鑑賞。

1988年以降15回程度訪問。

基本情報

​■ 名称:ラスベガス
■ ホームページ: https://www.lvtaizen.com/ (ラスベガス大全)