死海 (Israel / Palestine)_この土地が辿ってきた歴史が身体に浸み込んでくる

塩分濃度が異常に高い湖に浮きながら、遠くに見える灰褐色の岩山を眺める。目を閉じると、この土地が辿ってきた歴史が身体に浸み込んでくる。

イスラエル・パレスチナとヨルダンの間に位置する海、いや、湖。名前は海だが、定義からすると、湖が正しいのだろう。「死海」と聞くと、簡単には行けない場所という感覚を持つ。死海に面したビーチで一番有名な場所、エン・ゲディは、エルサレムから入ることになる。個人的には、この死海は、エルサレムに近いことと、この地域で発見された「死海文書」が頭に浮かぶため、宗教的な場所をイメージしてしまう。

この死海が有名なのは、塩分濃度が高く、水に入ると身体が浮くことだろう。仰向けに浮いて本を手にしながら読書をしている光景を写真や映像で見た方は多いのではないだろうか。

私の訪問は二度ともイスラエル側だが、1990年は、エルサレムの旧市街近くのバスターミナルからローカルバスに乗り、片側一車線の舗装状態が良くない道路を走った。エルサレムのバス停は、地面が舗装されていない広場で、無秩序に並んだバスから、目的地に行くバスを探して乗車した記憶がある。一方、2019年にローカルのツアーバスで向かった時は、片側二車線の舗装状態が非常に良い、立派な道路を走り、インフラが大きく改善していることに時代の流れを感じた。

死海(PIXTA:53919227)
写真素材のピクスタ

死海の畔の施設も、1990年当時は、ほとんど何もなく、私は、死海の畔で衣服を脱ぎ、それを放置したまま死海に入った。一方、2019年は、ローカルツアーに参加したこともあるが、レストランや店がある敷地内のビーチで、それなりに落ち着くことができた。

さて、この死海、水の中ではどの程度身体が浮くのかについてだが、多くの人は驚くのではないだろうか。そう、「驚くほど浮く」という言い方が適切な気がする。もう少し詳しく形容すると、水面に仰向けになった場合、背中とお腹の断面が十センチメートルあったとすると、数センチが水面より上に浮いている感じだ。普通、プールなどで泳いでいると、水面の上に出ている身体の部分はほとんどないが、この死海では、身体の一部が水面の上に飛び出した状態になるのだ。

この状態だと泳ぐことができない。そう、泳ぐことができないという形容が一番しっくりくる。クロール、平泳ぎを試みても、浮力が強すぎるため、コントロールが効かず、バランスを崩して左右にひっくり返ってしまう。塩分濃度は相当高い。海の通常の塩分濃度が3%であるのに対し、死海の塩分濃度は30%あるという。水を舐めると分かるが、舌がピリピリするというレベルではなく、ビリビリくるレベル。かつ異常に苦い。とても飲み込めるレベルではないし、飲むようなことがあってはいけない。確実に身体の具合が悪くなるはずだ。

写真素材のピクスタ

結局、泳ぐことができず、水を口に付けるのは避けなければならないため、上向きになってプカプカ浮いているだけということになる。この浮いているだけというのが非常に気持ちいい。何しろ、本当に何もしなくてよいからだ。左右の手を水中に入れて、軽く動かしてバランスを取る必要がない。まさに、よく写真などで見られるように、水に浮きながら、両手で本を持って読書ができてしまう。尚、死海に入って、外に出て寛いでいると、身体が真っ白になっていることに気付く。水分が蒸発して塩が残るためだが、この事実からも、この死海の塩分濃度の高さが分かるだろう。

この場所は、人が多く集まってくる場所ではないので、非常に静かだ。時々、複数のグループで来ている人が、楽しく騒いでいることはあるが、基本は無音の世界だ。水に浮きながら、対岸に見える肌色の岩山を眺め、無音の世界に身を置く。自分のいる場所が分からなくなり、何とも言えない、経験したことがない感覚に覆われる。非日常空間だ。

尚、1990年当時と2019年を比較すると、明らかに湖の水位が下がっていた。1990年当時の記憶だと、湖岸の道路をバスで走っていると、すぐ横に湖面があったが、2019年は、湖面が遠くに位置していた。現地の方の話では、水資源の乱用によるものという見解だった。

また、1990年当時は、イスラエルではインティファーダが激しかったことも関係しているのか、この死海の脇で、機関銃を抱えた兵士が徘徊している姿を目にしたが、2019年は政情も安定していたためだろう、兵士の姿はなかった。ちなみに、1990年の時は東洋人の姿が珍しかったのか、徘徊している兵士に、「中国人かい?」と声を掛けられた。

イスラエルから死海に入る場合には、「ヨルダン川西岸地区」を通っていくことになるが、バスから見える景色は、緑のない肌色の岩肌が見える荒野が多く、その中に、テントで生活している人の姿が見える。最初は、パレスティナの難民キャンプの類なのか?と思ったが、地元の人に確認したところ、これは遊牧民であるベドウィンの人々が生活している場所ということだった。「ヨルダン川西岸地区」を実感できる場所かもしれない。

尚、死海の岸で一番大きなエン・ゲディから20㎞南にマサダと言う場所がある。ここは、西暦70年のローマ軍侵攻時、ユダヤ側が最後まで抵抗した英雄伝説のある場所で、標高400mにある岩山の要塞だ。頂上まで歩いたが、頂上から眼下に見下ろす景色は、肌色の岩が広がる荒野と、その向こうに見える死海で、目にしたことがない景色だった。この荒野を眺めていると、この場所が辿ってきた過去の様々な歴史を五感で感じることができる。まさに非現実空間という言葉がしっくりくる場所であり、時間を掛けてでも、足を運んで欲しい。

1990年、2019年訪問。

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​基本情報

​■ 名称 : 死海
■ ホームページ: https://www.touristisrael.com/dead-sea-beaches/9805/ Dead Sea Beaches

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